東京地方裁判所 昭和24年(ワ)2098号 判決
原告 佐藤慶治郎
被告 田辺則雄 外一名
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告等は原告に対して金五十万円及びこれに対する昭和二十四年五月二十八日以降完済迄年五分の割合の金員の支拂並びに東京都において発行する読賣新聞(地方版を含む)に二日間引続いて縱三糎横二糎の大きさの原告の写眞を掲載した上、五号活字で次の謝罪広告を掲載せよ。
謝罪広告
昭和二十三年一月三十一日読賣新聞山形版に貴下を帝銀毒殺事件容疑者として事実をまげて記事を報道し、貴下及び親族友人等に多大の迷惑を及ぼしたことを謝罪する。
昭和 年 月 日
読賣新聞編輯印刷発行人
田辺則雄
読賣新聞社社長
馬場恒吾
山形縣東田川郡泉村川代山
佐藤慶治郎殿
訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、被告会社はその発行の昭和二十三年一月三十一日附読賣新聞山形版の最上部に三段拔で次の記事を掲載報道し、縱三糎横二糎の大きさの原告の写眞を掲載した。
毒殺魔容疑者佐藤に手配本格的の捜査網布かる
菅原警部補ら川代山開墾地へ急行
怪奇戰慄をきわめた帝銀椎名町支店員毒殺事件の有力なる容疑者として鶴岡市十三軒町九皇道自治会々長佐藤慶治郎(五一)が捜査線上にクローズアツプされ、卅日午前十一時警視廳から同人に対する指名手配が発せられた。縣警察部ではこれより先廿九日夜來帰縣後における佐藤の動静を極秘裡に探る一方佐藤の東京都内にいる友人関係を調査中であつたが警視廳捜査本部の正式指令に接して直ちに本格的捜査網を布き、同日朝九時卅分鶴岡署地方地区主任菅原三藏警部補外警官二名が川代山開墾地に急行した。
上ノ山でも怪事件
両羽銀行支店の目撃者現わる
佐藤が有力な容疑者として指名手配されたのは東京都内銀行を荒した犯人と人相風体が合致しており自力で経営している川代山開墾地が資金難に陥り金策に奔走中であつた。十日に鶴岡を出発して廿六日に帰つたと鶴岡署員に自供しているが(アリバイが不明確)服装が犯人と似通つている。東京都杉並区内の名刺屋に名刺を註文した犯人が称した本籍地と現住所が一致しているなどの諸点があげられ縣警察部では同人の逮捕を前にして傍証固めに奔走中である。折も折上ノ山両羽銀行支店において十日程前に銀行ギヤングと同様の人相をした風体の男がエツセンスのようなものをもつて來て行員に飲ませようとした事件を目撃したというものも現われ、稀代の銀行怪盜をめぐり全国的捜査網は雪深いこゝ山形に集中されたかたちである。
なお同人は北海大学の門衞をしていた父文作(七六)さんに育てられ小学中学を卒業後苦学して日本大学に入つたが、そのころから農本改革、天皇制撤廃という左とも右ともつかぬ混乱した思想を持つようになり華族会館燒打ち未遂事件をはじめとして四つの前科を重ねている。七、八年前に鶴岡市の現住家屋を借り受け皇道自治会方面の仕事をしていた。
また佐藤は家族を三分し鶴岡市、川代山開墾地、東京都杉並区天沼に家族を分けて居住その三つの家を往復していたので近所に深い交際も出來なかつたものと見られる。
右の記事は次の諸点で不法に原告の名譽信用を著しく毀損するものである。
(一) 見出しに「毒殺魔容疑者佐藤に手配」と特筆大書し、敬称を用いずあたかも原告が毒殺魔であるかのような印象を與え、その他の場合にも原告に敬称を用いてない。
(二) 「上ノ山でも怪事件」との見出しを掲げてその記事を併合報道しあたかも原告が右事件にも直接関係あるかの如く主観的意見を以て記載し原告の容疑を誇大に宣傳したこと。
(三) 原告が「自力で経営している川代山開墾地が資金難に陥り金策に奔走中」との犯罪事実に何等関係ない私行を事実に反して誇大に記載して原告の信用を極度に失墜させたこと。
(四) 「そのころから農本改革、天皇制撤廃という左とも右ともつかぬ混乱した思想を持つようになり」と記載し主観的意見憶測を交え、事実に反する報道をして、原告があたかも犯人であるとの誤つた印象を與えるように宣傳し、原告の人格を故意に傷けようとしたこと。
(五) 「華族会館燒打ち未遂事件をはじめとして四つの前科を重ねている」としてその他の前科が如何なる種類の罪名であるかを明かにしないで、原告が極惡非道の破廉恥漢であるような印象を故意に與えようとしたこと、もつとも前科あることは事実であるが罪名を明かに記載すべきであつて漠然と前科を記載するのは結局眞実に反した記載であること。
右(一)(二)の記事は事実の眞否と直接関係がないものとしても、その他の記事を併記することによつて、読者に原告が眞犯人であることを断定させるような印象を與えるべく誇大に宣傳したものであるから、結局事実に反した記事というべきである。
原告は大正十二年日本大学政治科卒業後新聞経営、著述業等を営み、昭和二十二年三月迄山形縣農民組合田川地区委員会委員長、日本社会党山形縣常任執行委員、全国農民組合中央準備委員、全国開拓協同組合設立中央準備委員等を兼任し、昭和二十二年末より山形縣鶴岡市で農業近代化研究所、近代生活科学研究所、天然資源調査研究所の各所長としてこれを経営し、且つ山形縣東田川郡泉村川代山において川代農場(約七町歩)を農場長として経営し開拓入植者の斡旋等をもしていて相当な社会的地位にあるものである。
而して原告(明治三十一年五月二日生)には妻幸枝(明治三十九年十二月十日生)長男美昌(昭和二年四月一日生)長女淑子(昭和四年六月十四日生)二男孔(昭和七年四月十二日生)二女美津子(昭和十年二月二十七日生)四男照彦(昭和十四年九月十三日生)五男眞建(昭和十五年十二月二十一日生)六男大東(昭和十七年十月二十一日生)の外に実父文作(明治六年四月六日生)その妻タケノ(明治十六年七月九日生)その他多数の親族がある。
然るに右の記事が発表せられたゝめ原告の名譽は極度に毀損せられ、信用もまた極度に失墜したばかりでなく原告はもとより家族親族の被つた精神上、物質上の苦痛損害は深刻なものでこれがため原告の妻子は一般人から白眼視せられて隣り近所に顔向けができず、通学中の原告の子女及び原告の弟佐藤政治、義弟福谷国興、同足立郁夫の子女は学校の内外で白眼視せられるに至つたため一時休学を余儀なくせられた外小学校長の足立郁夫はやむなく数日間欠勤し、原告の実父文作、妻タケノは激昂心痛し、叔母中山菊栄は十数日間病床についた程であつて、以上のように原告は被告読賣新聞社の記事によつて著しく名譽を毀損せられ、信用を失墜し精神上甚大な打撃を受けた。
而して右損害は被告会社の被用者がその事業の執行について原告の権利を侵害したゝめに生じたものであるから被告会社においてその賠償義務あること明らかで、被告田辺は被告会社発行の新聞の編輯印刷発行名義人であつて被告会社に代つて事業の監督をするものであるから被告会社と同様の責任を負うべきである。よつて被告等に対して損害賠償として金五十万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和二十四年五月二十八日以降完済迄年五分の割合の金員の支拂と請求趣旨記載の謝罪廣告を求めると述べ、被告主張の抗弁事実を否認した。<立証省略>
被告等訴訟代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中被告会社発行の昭和二十三年一月三十一日附読賣新聞山形版に原告主張通りの記事を掲載したこと、被告田辺が被告会社発行の新聞の編輯印刷発行名義人であることは認めるが、その余の事実は全部認めない。原告が所謂帝銀毒殺事件の犯罪容疑者の一人として捜査官憲の捜査の対象となつたことは眞実であり、右新聞記事はその捜査の状況をそのまゝ取り上げた眞実の記載である。凡そ犯罪の嫌疑を受けた者に対しては、その者の生活状態、思想関係、経歴をも調査して、眞犯人であるかどうかの判断の資料に供することは、犯罪捜査の常態であつて、右記事の内川代山開墾地の件、原告の思想や経歴に関する件も犯罪嫌疑の事実と関連して捜査の対象となつたもので、刑法第二百三十條ノ二に所謂「犯罪行爲に関する事実」として取り上げられたものであつて、犯罪の有無を判断する上において全然関係のない單純な原告の私行をその名譽及び信用を害する目的で掲載暴露したというべきものではない。從つて右記事中には原告の單純な私事に関するものはなく且つその記事は眞実の報道であるから不法行爲を構成しない。なお被告田辺は被告会社発行の新聞の編輯印刷発行の單なる名義人であつてその実務には全く関係なく勿論被告会社の事業の監督をしているものではない。特に本件記事の掲載報道せられた当時は腦溢血のため自宅で療養していて右のような事務をとり得なかつたものであるから、被告会社の事業の監督者としての責任を負う理由はない。仮りに被告等に原告主張のような責任ありとするも原告と被告会社との間に昭和二十三年二月頃裁判外の和解成立し、原告は右記事に基づく損害賠償請求権を放棄しているから何れにしても原告の請求は失当であると述べた。<立証省略>
三、理 由
被告読賣新聞社がその発行の昭和二十三年一月三十一日附同新聞山形版に原告主張通りの記事を掲載したことは当事者間に爭ないところであり、被告会社がいわゆる大新聞社であつて、相当部数の新聞を発行するものであることは公知の事実でその山形版も相当廣範囲に販賣せられているものと推知するに難くはない。
而して当時惨虐戰慄を極め世間の耳目を衝動させた帝国銀行椎名町支店員毒殺事件発生し、その犯人檢挙のため大がゝりの捜査が展開せられていたことは公知の事実である。
よつて右記事を掲載発行したことが原告の名譽信用を毀損する不法行爲を成すものであるかどうかの点を判断するに、被告は右記事は事実の報道で刑法第二百三十條ノ二にいわゆる犯罪行爲に関する事実に包含せられ、原告の單純な私事に関するものではないから不法行爲とならない旨主張するけれども、前記新聞に掲載せられた事実は必ずしも原告の私行に及んでいないものとは認め難く、寧ろ私行にわたる事実も掲載せられているものと解すべきであるから、被告の右主張は採用することはできない。
然しながら、ひるがえつて考えるに、凡そ新聞紙は社会的報道機関として社会に起つた諸事実でその掲載を制限又は差止、禁止せられたものでない限り、これを報道して一般社会に対する警告と反省を促し世人を善導する公の使命を有するものであると共に、その掲載事項が一般社会に及ぼす影響の大なるに鑑み、殊に犯罪の容疑者に関する報道に当つては、それが單に犯罪の嫌疑であることに留意し、新聞紙の前記使命に反して、理由なく容疑者の名譽信用を害しないよう注意し、客観的な立場から事実の報道に終始すべきであつて、この注意義務に違反したり、或は客観的な立場を逸脱して名を報道にかり故らに容疑者の名譽信用を毀損するの目的で侮辱的な文辞を登載するにおいては、その容疑者に対する名譽並に信用を毀損する不法行爲となるのは議論の余地のないところである。然しその被疑事件に関連して嫌疑の原因、犯罪の動機、容疑者の経歴、性格、家庭の状況、捜査当局の犯人檢挙の活動状況を客観的立場から掲載するに止まり何等侮辱的意思の表現のない場合にはその記事私行にわたり而もそれがため本人は勿論その家族の者の名譽信用を損減するおそれがあつても、これを以つて新聞紙の社会的報道機関としての正当業務の行爲に属するものと解すべきは刑法第二百三十條ノ二、新聞紙法第四十五條の趣旨と新聞紙の使命に関する社会通念に照し是認せられるものといわなければならない。
而して本件についてこれを見るに、本件記事掲載の頃原告が前記被疑事件の容疑者として捜査の対象となり捜査当局の取調を受けたことは原告の明かに爭はないところであつて、本件記事は被告会社の現地記者が右事件について調査した事実に基づいて概要を取材し掲載せられたものであることは証人大木正、竹内四郎の各証言に徴して窺い知ることができるし、而もその記事の内容を檢討すれば、原告が前記被疑事件の容疑者として捜査の対象となり、その取調を受けるに至つた原因、捜査当局の活動状況、原告の経歴思想、家庭の状況等を客観的立場から記述したに過ぎないこと明かであつて、容疑者に対する前記注意義務に違反したものと認めることはできないし、又文中原告に対する侮辱の文辞を並べているものでないことは勿論記事全文を通読してその全表現形態の意義を綜合しても原告に対する侮辱的意思を表現する記事を登載したものとは看取できないから、右記事の掲載は原告の私行にわたり且つこれがため原告の名譽信用を損減するおそれがあつても、前記説明するところに照し、社会的報道機関である新聞紙に許された正当行爲の範囲に属し違法性を阻却し不法行爲を成さないものというべきである。
原告は本件記事は次の諸点で不法に原告の名譽信用を著しく毀損した。即ち
(一) 見出しに「毒殺魔容疑者佐藤に手配」と特筆大書し、敬称を用いず、あたかも原告が毒殺魔であるかのような印象を與え、その他にも原告に敬称を用いていないと主張するけれども、新聞記事の標題、いわゆる見出しは一読その全般の内容を察知できるように簡單に摘記するものであるから「毒殺魔」なる用語は帝銀事件の惨虐な犯人を示すものとして新聞紙の機能に鑑みやむを得ない事柄で、而もこの言葉は容疑者に接続し、直接原告に接続するものではないから、原告が毒殺魔であるように記載したと読むのは当らない。而して新聞紙に氏名を掲げる場合には、一般に敬称を用いるのが適当というべきであるが、敬称を省略した一事をもつてその人を侮辱し不法に名譽を毀損するものということはできないし又前記記事全体を通読して敬称を省略したことを以つて原告を侮辱し不法に名譽を毀損したものと認めることはできないからこの主張は理由がない。
(二) 「上ノ山でも怪事件」との見出しを掲げてその記事を併合報道し、あたかも原告が右事件にも直接関係あるかの如く主観的意見を以て記載し原告の容疑を誇大に宣傳した旨主張するけれども上ノ山事件なるものがどのような犯罪であるか記事自体漠然として不明であるばかりでなく、その前後を連絡して通読しても不法に原告の容疑を誇大に宣傳したものと認めることはできない。もつともその文言の裏には上ノ山両羽銀行支店にも帝銀事件と類似の手口の犯行を試みて失敗したものがあるらしく、その犯人が原告に関係あるように読めないことはなく、多少獵奇的に誇張した嫌がないではないが、この記事の中には原告に対する侮辱的表現は見られないし、この程度の修飾を許されないものと認めることはできない。
(三) 原告が「自力で経営している川代山開墾地が資金難に陥り金策に奔走中」との犯罪事実に何等関係のない私行を事実に反して誇大に記載し、更に
(四) 「そのころから農本改革、天皇制撤廃という左とも右ともつかぬ混乱した思想を持つようになり」と記載し事実に反する報道をして原告の名譽信用を毀損した旨主張するけれども、証人大木正の証言によれば右(三)(四)に記載の事実は眞実であることが認められ、他にこの認定を覆し無根の事実である旨の原告の主張を認むべき証拠がないから、この点の原告の主張は理由がない。次に
(五) 「華族会館燒打ち未遂事件をはじめとして四つの前科を重ねている」と記載し、前科あることは事実であるが罪名を明かに記載すべきであつて、その他の前科が如何なる種類の罪名であるかを明かにしないで漠然と前科ありと記載するのは結局眞実に反する記載となり、原告が極惡非道の破廉恥漢であるような印象を故意に與えようとした旨主張するけれども前科の罪名を明らかに記載しなかつたという一事を以て眞実に反する記載と認むべきでないのは勿論漠然と前科ありと記載することによつて故意に極惡非道の破廉恥漢であるような印象を與えようとしたものと解することはできない。而して前科は経歴に属するものであつて、犯罪行爲に関する事実ではないけれども、事実に反しない経歴を記載することは社会的報道機関である新聞紙に許された正当行爲に属するものと解すべきこと前に説明した通りであるから、原告のこの点の主張も採用できない。
更に原告は(一)(二)の記事はその他の記事を併記することによつて、読者に原告が眞犯人であることを断定させるような印象を與えるべく誇大に宣傳したものであるから結局事実に反した記事というべきであると主張するけれども、本件記事を通読して原告が眞犯人である旨不法に誇大宣傳したものと認めることはできないからこの点の主張も理由がない。
然らば本件掲載記事の内容は不法に原告の名譽信用を毀損するものということができないから、右記事掲載の事務を担当した被告会社の被用者に不法行爲あることを前提とする原告の請求は爾余の点について判断を省略し、失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 西川美数)